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略歴と実績

1972年

岡山県生まれ

1991年

岡山県立倉敷天城高校卒業

1996年

東京工芸大学工学部写真工学科卒業

 

スタジオエビス入社

1997年

イエロー入社

 

写真家・稲越功一氏に師事
広告・雑誌を中心に国内外の撮影に同行

2002年

フリーランスフォトグラファーとして独立

 

事務所 [ABE PHOTO] 東京目黒区下目黒

写真は芸術なのか?」

写真は記録である。」と私は思う。
写真家はカメラという機械で世界の一部分の時間、空間を切り撮ることのできる人間。世の中をよく「視る」ことによって考える。宮川淳氏の言葉を引用すると[われわれが見ているのは、背後にあるべき対象ではなく、そのような背後を失った純粋なあらわれなのだ] と...そしてカメラ装置により物事を記録する。

写真という手段によって表現するとき「写ってしまった」「写された」、つまりカメラ・アイ(=機械の眼)の記録という事実は否定できない。撮影された画像は「写ってしまったモノ」の事実であり機械としての記録である。写真は偶然の出来事であり、いかに必然性をもたせるかである。

自分の考え如何にかかわらず、現実はいろいろな形として存在している。自分自身存在しているという事実同様、その存在そのものの是非とは関係なく、存在しているという事実は認めざるを得ない。写真がつねに具体的な形を通して成り立つ以上、それを認めなければ映像化することはできない。ある対象にカメラを向けること自体、自分の結合された眼であると同時に、その写し取られたものは、自分の考えを超えてそのもの自体の事実である。
春日昌昭 「写真=その肯定性の方位・鈴城雅文」より

19世紀後半に写真術が発明されて、当時の画家達は、真実をありのままに映し出す写真に「もう我々の時代は終わった」と恐れをなしたと聞くが、しかし実際はそうではなく、絵画の世界は形を変え、シュールリアリズム、ダダ、スーパーリアリズムなど20世紀の絵画の運動に見られるような変化(影響)を起こした。それは写真が絵画や他の芸術へ与えた正の部分かもしれない。

ゲルハルト・リヒターという画家がいるが、リヒターの写真作品(ATLAS)を観たとき、非常に絵画的だと感じる。例えば空だけの写真を複数枚集めて一つの作品を形成している所など、一枚一枚の写真が意味を成しているのではなく、一つの集合体として見たときに、意味をなしイメージを与えている。

リヒターは写真を用いて絵画的な事をやり、写真術の発明で起こった変化の逆のことをやりたかったのではないかと...私はそう考える。絵画が写真に与える正の部分を...写真へ対してのアンチテーゼなのかもしれない。

「描かれた真実」という言葉が、指し示している作品があるグレー一色に塗られた「大きな鏡」があるだけの作品であるが、そこに写るのは、「真実」=「見ている自分」である...

写真は記録なのか?」

写真は芸術でもある」と私は想う。

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